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GO BEYOND な 人
片山貴信(カタヤマタカノブ)
登山家
「氷点下の澄んだ空気の中にある景色に言葉を失う」元バイクレーサーの新たな挑戦。
- 海外登山歴 - 2025.12現在「困難があっても諦めない」目標は達成できる。
私が障がいを負ったのは、バイクでの単身事故が原因でした。その事故が起きたのは、1994年、私が19歳の時です。事故から10日後には奇跡的に意識を取り戻したものの、主治医の言葉に絶望しました。「左上半身は二度と動かない、右下半身は感覚こそ戻るものの、曲げられない」と言われたのです。当時は現実を受け止めきれず、否定的で、生きる活力のない毎日でした。
そんな私を変えたのは、様々な人との出会い・気付きでした。特に印象に残っているのが、病院にいた小学生の男の子と医師のやりとりです。
その男の子は事故で膝の皿を失っていたのですが、彼はこれから先の人生に向けて、足が曲がったままか、まっすぐのびたままか、どちらかを選ばなければなりませんでした。医師にどちらが良いか尋ねられた時、男の子は笑顔でまっすぐのびたままの足を選びました。その理由が「走れるから」だったのです。その様子を見て、私は10歳の小学生に教えられました。辛い現実を受け止めて、その中でも最善の方法を選んで今を生きるというのは、こういうことなのではないか?と。
そこから私は変わりました。まずは腕を治そうと思い、行動を起こしたのです。針で左腕を刺し、わずかに残っている感覚を刺激すること8カ月、左手の小指にほんのわずかな感覚が感じられました。続いて、薬指、中指、人差し指、親指と順に感覚が戻り、少しずつ動き出したのです。過酷なリハビリに耐え、手術を繰り返すこと3年。障がい者であることは変わりませんが、バイクレースに復帰することができたのです。
私はその時2つの目標を立てました。それは、バイクレースで表彰台に立つこと、そして雑誌で特集(カラー2ページ以上)されることです。レース復帰から7年たった2004年、私は2つの目標を同時に達成することが出来ました。目標達成を機にバイクレースは引退。山と海に親しむ生活を始めました。
腰の骨を左腕に移植したり、骨を削ったりと毎年手術を繰り返してきた私にとって、登山は簡単なスポーツではありません。しかし、苦しい工程を乗り越えたあとに得られる達成感・充実感はバイクレースに似ています。
今では、日本には無い標高の山に挑戦しています。
GO-BEYONDER No.032
GO-BEYONDER No.032
登山家
片山貴信
1974年、兵庫県姫路市生まれ。
公式サイト:https://taka10pj.com/