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GO BEYOND な

片山貴信(カタヤマタカノブ)

登山家

「氷点下の澄んだ空気の中にある景色に言葉を失う」元バイクレーサーの新たな挑戦。

 
- 海外登山歴 - 2025.12現在
※山名、標高、国名
2012年
Sinai:シナイ山(2,285m)エジプト ※エジプトNo.2
2013年
Machu Picchu:マチュピチュ山(3,082m)ペルー
2014年
Uluru:ウルル(868m)オーストラリア ※旧称エアーズロック
Lion’s Head:ライオン・ヘッド(669m)南アフリカ
Maclear’s Beacon:テーブル・マウンテン(1,086m)南アフリカ
2015年
Illiniza Norte:イリニサ・ノルテ(5,126m)エクアドル
Cayambe:カヤンベ(5,790m)エクアドル ※赤道上(緯度0度)最高峰
2016年
Taishan:泰山(1,545m)中国 ※7,500段の石段登山
Huà Shān:崋山(2,160m)中国 ※断崖絶壁の木道登山
Aconcagua:アコンカグア(体調不良でヘリ搬送 4,300m)アルゼンチン
2017年
Elbrus:エルブルス(5,642m)ロシア ※欧州最高峰&ロシア最高峰
Aconcagua:アコンカグア 北壁ポーランド氷河ルート(時間切れ 6,200m)アルゼンチン
Aconcagua:アコンカグア(6,962m)アルゼンチン ※南米最高峰&アルゼンチン最高峰
2018年
Matterhorn:マッターホルン ヘルンリ稜(体調不良 4,037m)スイス
Breithorn:ブライトホルン(4,164m)スイス
Punta Dufour:プンタ・デュフール(4,634m)スイス ※欧州No.3&スイス最高峰
2019年
Petrovsky:ペドロフスキー(4,731m)キルギス
Petrovsky:Yuhina:ユーヒナ(5,075m)キルギス
Razdelnaya:ラズデルナヤ(6,148m)キルギス
Kuhi Garmo(Lenin):クーヒ・ガルモ ※旧称レーニン(7,134m)キルギス
2022年
Riffelhorn:リュッフェルホルン egg-4d(2,927m)スイス
Matterhorn:マッターホルン ヘルンリ稜(時間切れ 4,304m)スイス
Eiger:アイガー ミッテルレギ稜(3,967m)スイス
2023年
Hvannadalshnúkur:クワンナダールス(悪天候で緊急下山 1,105m) ※アイスランド最高峰
2024年
Alpamayo:アルパマヨ(5,947m)ペルー
Quitaraju:キタラフ(雪壁の条件悪く断念 5,300m)ペルー
2025年
Orizaba:オリサバ(5,636m)メキシコ ※北米No.3&メキシコ最高峰
Acatenango:アカテナンゴ(3,976m)グアテマラ
 - 国内の主な登攀歴、縦走歴 -
●日本百名山、及び、3,000m峰完登
●無雪期、及び、厳冬期における、バリエーションルート登攀歴多数

「困難があっても諦めない」目標は達成できる。

私が障がいを負ったのは、バイクでの単身事故が原因でした。その事故が起きたのは、1994年、私が19歳の時です。事故から10日後には奇跡的に意識を取り戻したものの、主治医の言葉に絶望しました。「左上半身は二度と動かない、右下半身は感覚こそ戻るものの、曲げられない」と言われたのです。当時は現実を受け止めきれず、否定的で、生きる活力のない毎日でした。

そんな私を変えたのは、様々な人との出会い・気付きでした。特に印象に残っているのが、病院にいた小学生の男の子と医師のやりとりです。

その男の子は事故で膝の皿を失っていたのですが、彼はこれから先の人生に向けて、足が曲がったままか、まっすぐのびたままか、どちらかを選ばなければなりませんでした。医師にどちらが良いか尋ねられた時、男の子は笑顔でまっすぐのびたままの足を選びました。その理由が「走れるから」だったのです。その様子を見て、私は10歳の小学生に教えられました。辛い現実を受け止めて、その中でも最善の方法を選んで今を生きるというのは、こういうことなのではないか?と。

そこから私は変わりました。まずは腕を治そうと思い、行動を起こしたのです。針で左腕を刺し、わずかに残っている感覚を刺激すること8カ月、左手の小指にほんのわずかな感覚が感じられました。続いて、薬指、中指、人差し指、親指と順に感覚が戻り、少しずつ動き出したのです。過酷なリハビリに耐え、手術を繰り返すこと3年。障がい者であることは変わりませんが、バイクレースに復帰することができたのです。

私はその時2つの目標を立てました。それは、バイクレースで表彰台に立つこと、そして雑誌で特集(カラー2ページ以上)されることです。レース復帰から7年たった2004年、私は2つの目標を同時に達成することが出来ました。目標達成を機にバイクレースは引退。山と海に親しむ生活を始めました。

腰の骨を左腕に移植したり、骨を削ったりと毎年手術を繰り返してきた私にとって、登山は簡単なスポーツではありません。しかし、苦しい工程を乗り越えたあとに得られる達成感・充実感はバイクレースに似ています。

今では、日本には無い標高の山に挑戦しています。

GO-BEYONDER No.032

GO-BEYONDER No.032

登山家

片山貴信

1974年、兵庫県姫路市生まれ。19歳の時にバイクで単独事故を起こし、意識不明の重体になるも、奇跡的に意識を取り戻した。主治医から「左上半身の回復は望めず、右下半身の感覚は戻るが曲がらない」と告知を受けながらも、必死のリハビリと度重なる手術により、バイクレースに復活。事故から10年後、見事表彰台に立つとともにレースから引退。現在は国内外問わず、様々な山に挑戦している。

 

公式サイト:https://taka10pj.com/

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