1980年からフリーランスのサーフフォトグラファーとして活動。特にボディボードの撮影は日本人カメラマンの中で最も多くの撮影経験があります。(株)マリン企画時代の月刊サーフィンライフ誌や、現在休刊になっているボディボードの専門誌のFLipper のメインフォトグとして活動していました。ワールドツアーの試合において日本人女子プロボディボーダー達の昨今の大活躍は御承知だとは思いますが、報道するメディアが殆ど無くて、不甲斐なく残念だと思っていた当時、2015年に僕自身が全て1人で撮影、取材、原稿、記事制作を行っている、rising magazine と言うwebサイトなどで現在は活動しております。近い将来的には紙媒体で絶対に復活したいです。ボディボードは、サーフィンもボディボードも素晴らしい横乗り系のマリンスポーツとして今後も世に発信していきます。現在、このrisingmagazineのWebサイト以外に、Facebook、Instagram、Xと公式アカウントを運用しております。



GO BEYOND な 人
吉岡昌彦(ヨシオカマサヒコ)
写真家
日本人ボディボーダーや日本人サーファー達が活躍しているワールドツアーやフリーセッションの撮影の為にハワイ、カリフォルニア、オーストラリア、などなど、色々な国に、若い頃と同じ様にまた精力的に行って撮影したいです。写真だけではなく、心に刺さる動画撮影もこれからどんどんやっていきたいです!もう一度素晴らしい紙媒体を発刊する事と、ドキュメンタリー映画も作り世界に発信して行きたいです!
Discover Something Different これの一言につきます!
GO-BEYONDER No.671

写真家
吉岡昌彦
1980年20歳の時に写真を始めました。
高校時代からやっている大好きなサーフィンの写真を撮り始めたきっかけは、当時大阪で人気のあったサーフィンのミニコミ誌月刊TAKE OFF 誌のアルバイトに行きそこで写真の魅力にハマり、1982年にプロのフリーランスのサーフフォトグラファーとして独立する為に大阪から湘南に上京し、当時の雑誌Fineの仕事を頂きTAKE OFF の仕事もやりながら、憧れていた月刊サーフィンライフ誌でもフリーランスとして撮影した写真を使って貰い調子に乗ってそのままプロとして活動。
月刊サーフィンライフ、FLipper 、SUFER GIRL 誌などなど、その後45年に渡って沢山の色々な雑誌に掲載される様になりました。紙媒体がその後2011年の東北大震災の後にどんどん廃刊になって行き、WEBサイトに活動の場を移しましたが、やはり紙媒体の凄い記憶に残る専門誌を今後死ぬまでに必ず発刊して行きたいです。
Instagram:https://www.instagram.com/risingmagazine/
Facebook:https://www.facebook.com/risingmag/
X(旧Twitter):https://x.com/risingmag
2024年秋に14年ぶり人生3回目の動画撮影を始めると同時にrising magazineのYouTubeチャンネルもリニューアルした。
2024年7月に超久し振りにボディボードのワールドツアーの撮影取材の旅を敢行した。その撮影はモルディブ島に2週間滞在。世界のレベルで戦い大活躍している日本人プロ達の撮影と取材した時に現地の滞在先のネット環境が劣悪で凄く困った時に、このグローバルWi-FiのGoBeyonderに応募してラッキーにも採用された。
2014年から現在までWebサイトrising magazineの運営から写真や文章の掲載まで全て行なっている。
2011年に東北大震災と言う未曾有の大震災が起きた影響で、次々に紙媒体が休刊されてしまい活動の場をWebに移す。
長きに渡り、Flipper誌のメインフォトグとしても活動し、Popeye、ブルータスやTarzan誌にも作品が掲載されサーフィンライフ誌でも沢山の特集が掲載された。
1984年はカリフォルニアに渡りハリウッドやスタジオシティ、サンタモニカやニューポートに滞在し写真と英会話の勉強の為に長期滞在した。
1981年から2014年まで毎年冬のシーズンにハワイオアフ島ノースショアに3ヶ月滞在し撮影活動をする。
1983年ごろからマリン企画の月刊サーフィンライフ誌や、サーファーマガジン、サーフィンワールド誌で撮影活動が本格的に始動。
1982年湘南に上京しフリーランスとして活動。ファッション雑誌月刊Fineで毎月4ページを担当し当時の新鋭プロサーファーを紹介するコラムで写真と原稿、その4ページのレイアウトも任されて毎月連載された。
1980年写真を撮り始める。大阪にあった月刊TAKE OFF 誌の初代スタッフフォトグラファーとして活動。